宮島のお引越し大騒動~?!(笑) [広島県]
皆様、前回のラストで「次回アップしたいと思います!」
な~んて書いておきながら
またまたブログが月刊化してしまい、早2月…。
ようやく重い腰を上げて、続きを書くことが出来たので
お付き合いしてやって下さいね♪
前記事の厳島神社から
お隣のお寺さん【大願寺】が見えたので参拝しました。
ちょっと厳島神社を振り返ると…
あれ???
出口の方が切妻造りで、入口っぽくないですか?
これには、昔【厳島神社】の参拝方法が海から大鳥居を潜る
⇒こちら【大願寺】の裏手にあった大風呂で身を清める
⇒【大願寺】の【僧坊】で休憩&着替えをしてからだったので、
今の出口が昔の入口だったからなんですね。
多くの幟の立ち並ぶ境内を進んでいくと
ご本堂に到着!
江ノ島弁天(神奈川県)&竹生島(滋賀県)と共に
“日本三大弁天”の1つ、厳島弁天さんがいらっしゃいます。
もともと厳島弁天さんは厳島神社にいらっしゃったそうですが、
神仏分離の際にこちらへお引越ししました。
当時は完全秘仏だったそうですか、
今は年1回御開帳があるみたいですよ。
しかも、ご本堂は当時は、 ご本堂じゃなかったとか…Σ( ̄□ ̄)!
元は僧坊だったので幕末(1866年)の第二次長州征伐の時に
幕府代表の勝海舟さん&木戸孝允さんと長州藩の広沢真臣さん達が
会談したと云われてる部屋があります。
上を見るとパリ万博に出展された1/25スケールの錦帯橋のミニチュアが!
よく出来てますよね~( ̄◇ ̄;
ご朱印をいただき
ご本堂や
右側にちょこっと見える【伊藤博文さんお手植えの九本松】に別れを告げて、
神仏分離前は【大経堂】だった【千畳閣】へ♪
向かうと1407(応永14)年に建てられた
色鮮やかな五重塔もお出迎え♪
この【五重塔】の特徴は“禅宗様”で造られた屋根軒先の大きい反り&
“和様”で造られた入口の2つの様式のコラボ。
それ以外にも、風に強い構造にするために
“心柱(塔の中心にある柱)”は2層目で止めているという
日本でも5塔しかない特徴があります。
…とは言っても内部なのでお目にかかる事は出来ないのですけどね(笑)
こちらに祀られていた“釈迦如来座像”と“文殊菩薩&普賢菩薩さん”は
明治の神仏分離の時に先ほどの【大願寺本堂】にお引越ししています。
明治の神仏分離前は先ほどの【大願寺大経堂】だった
【千畳閣】
以前は行基作と伝わる“釈迦如来坐像(行基作と伝わる)”と
“阿難(あなん)尊者像&迦葉(かよう)尊者像”がいらっしゃいましたが、
やはり神仏分離で【大願寺本堂】へお引越し…。
今では豊国神社が祀られている内部は
とにかく広い~Σ( ̄▽ ̄
どんだけ広いかというと畳が857枚もの畳が敷けるぐらいなので…
海に浮かぶ大鳥居を明治8(1875)年に再建した時に使われた
大鳥居と同じ高さの16mの尺杖が
小さく見えることw(@。@;)w
宮島らしい鹿を題材とした絵馬や
杓文字まで奉納されていました。
【千畳閣】からは木々の間から前記事の厳島神社も見下ろせます♪
ご朱印をいただいて外へ出ると
縁側の下を歩くことが出来ます
…ま、「頭上注意!」と書かれても頭ぶつかりませんけどね(笑)
実は【千畳閣】、1587(天正15)年に豊臣秀吉さんの命で
安国寺恵瓊(あんこくじえけい)さんが建立していましたが
豊臣秀吉さんの死により未完成のまま現在に至っているためか
外から見ると…
秀吉さんの命で建てたお堂としてはちょっと素朴じゃないですか?
そんなことを考えながら翌日の目的地へと記事は続きます。
…って、年末のネタでいつまで引っ張るんだ!
ってツッコミはなしで(笑)
龍神が舞い降りる神社へとご参拝~♪ [広島県]
すっかり年も明けてしまい、半月が経ってしまいました( ̄▽ ̄;
こんなマイペースな私ですが、今年も宜しくお願いします。
今回はメインを書いていきたいと思います(≧▽≦)
前記事のラスト、鹿さんが迎えてくれる鳥居を潜ると…
さっきは船から見た鳥居がドーン!
よく海に立てたよな~と
感心せずにはいられないぐらいの大迫力!
ちょうど干潮だったので鳥居付近から目的地【厳島神社】を眺めてみました。
さらに近づいてみると圧巻!
実は私、これよりも身長低いので、なおさら高く感じます(^◇^ ;
…私と会った事がある皆様は思い出していただけると、
高さが推測できると思います(笑)
それでは早速お参り♪
こちらは【鏡の池】で
創建時、一夜にして出来たと云われています。
今は干潮なので見る事が出来ましたが
満潮時はここも海水で満たされます。
<管弦祭>の時にクライマックスを迎える【枡形】から
鳥居も一望できます
入り口付近にあった【客(まろうど)神社】は
祭事の時に真っ先に神職がお参りする所で、
よ~く見ると祓殿(はらいでん)の所の白い波切板が切れているのは
海側の入口だった頃の名残とか…。
船でお参りする神社って優雅ですよね( ̄m ̄*)
さっき見上げていた平舞台…
ちょうど参拝客が途切れたこともあって
人の移りこみもなく撮ることが出来ましたが
この長く伸びる舞台…ずーっと眺めていたいという
不思議な感覚に襲われました。
…満潮で海水で満ちていたら、桟橋に見えそう(笑)
振り返ると【本殿】と
日本三舞台(大阪の四天王寺・住吉大社の石舞台と共に)の1つ
【高舞台】が見えますが…やはり訪れたのが年末と言うこともあってか、
【高舞台】の手摺をピカピカに磨いていらっしゃる方が…。
この後もあちこちで年末の神社の慌しさを体感させていただきました( ̄▽ ̄;
朱塗りの柱に囲まれた真っ直ぐ伸びる
【祓殿(はらいでん)】から
【幣殿(へいでん)】・【拝殿】・【本殿】へ…。
社務所で御朱印をいただき
記念の大鳥居のストラップを購入♪
朱色に囲まれた空間が多い中、ひときわ異色を放っているのが
【天神社】
本殿よりも後世の1556(弘治2)年に毛利隆元さんが寄進したお社で
学問の神:菅原道真さんを祀っています。
この時も合格祈願のお札が山積みになっていました。
昔は【連歌堂】と云われていて、
明治時代の初めまで毎月“連歌の会”が催されていたそうです。
寝殿造りで優雅に歌会に興じる平安貴族のようですね♪
同じく朱色じゃない建物がこちら、満潮時には日本で唯一海に浮かぶ
【能舞台】
1568(永禄11)年に毛利さんが海中に能舞台を建て、
観世太夫さんに能を奉納させたのが始まりで、
今の建物は1680(延宝8)年に広島藩主だった浅野綱長さんにより創建。
創建当時の建物は残念ながら
平成3年の台風19号により倒壊してしまいましたが、
出来るだけ古材を使用して3年がかりで再建されたそうです。
満潮時には海に浮かぶお社だからか、
外と厳島神社を結ぶ橋にも個性があり、
【反橋】は
勅使(天皇からの使者)のみが渡ることを許されたことから
別名【勅使橋】とも呼ばれました。
鎌倉期には既にあったのですが、今の橋は1557(弘治3)年に
毛利元就さん&隆元さん親子により再建されたそうです。
桃山時代に建てられたといわれる【長橋】は
本殿裏の【御供所】から
神饌(しんせん)が運ばれる時に使われた橋です。
33mもの真っ直ぐ伸びる橋にちょっと目を奪われちゃいました(^◇^ ;
やっぱり、ここまで来たら見てみたいと思っていた
念願のライトアップ~♪o(>▽<)o
石鳥居が迎えてくれる参道も
大鳥居も…
ライトアップが始まったばかりの時間に直行したので、
満潮を迎えた社殿もちょっとずつ照らし出されます。
やっぱり満潮時に参拝したかったな~(T∇T)
30分も経つと周りも暗くなり
西松原も
大鳥居も
幻想的で素敵になっていました(* ̄∇ ̄*)
やっぱり夜の厳島神社見てよかった~♪
旅館の食事の時間もあるので戻ると、牡蠣尽くしの夕食が待っていました♪
美味しかった~(o⌒∇⌒o)
この日は厳島神社以外のスポットも参拝したのですが
次回アップしたいと思います。
今年最後のメタボ会報!?(笑) [広島県]
皆様、どんな大晦日をお過ごしですか?
今年もマイペースな更新に付き合っていただき、
ありがとうございました!
来年も宜しくお願いします。
今年最後の更新は…
やっぱりお出かけネタで締めたいと思います♪
イルミネーションで彩られた
東京駅周辺や皇居を後にして…
ハイウェイバスに乗り込んでみました♪
途中で立ち寄った御殿場サービスエリアで
3種類の具がまとめて味わえる限定の
“富士山おにぎり”を食べ
福山サービスエリアのイルミネーションに癒されつつ
向かった先はここ(≧ω≦)
このアングル、かなり有名ですよね?
船を下りると鹿がお出迎え
さらに歩くとこ~んな看板が出迎えてくれました♪
ここの名物の1つ“あなご丼”をいただきつつ、
さらに進んで行くとこちらが発祥といわれる宮島細工の杓子…
うわっ!Σ( ̄□ ̄;
長さ7.7m・重さ2.5t もあったら使えないし(笑)
杓文字とともに有名なのは高津堂のご主人:高津常助さん発案で
伊藤博文の冗談が起源との説もある“もみじ饅頭”~!
…これは大きいって?(笑)
ノーマルはこれですね♪
最初は、こし餡だけだったそうですが
今ではいろいろな味があるので迷っちゃうぐらいです。
さらに各店のオリジナルは広がっていって…
中にアイスを詰めた“アイスもみじ”
もみじ饅頭を揚げた“揚げもみじ”
なども美味しくいただきました(*^▽^*)
表参道商店街を歩いていると今日の“鎮火祭”に使われる
松明が立ってました。
いろいろと楽しみながら参道を歩いていくと
いよいよ石鳥居が見えてきました♪
…と、今回はこの辺で!
続きは年明けにアップしますね。
では、よいお年を!